1. ヨーロッパ大陸で最初に人が住み始めたのはブルガリア北西部だったという説があります。ヴィディン地方にあるコザルニカ洞窟では、約160万年前の人骨が発見されています。考古学者たちは動物の骨や石器も発見しています。
2. パヴリケニ市レシチェリ村には、ブルガリアで最も高いローマ時代の記念碑(高さ約12 m)があります。レシチェリ柱(マルコフ・カマク柱)は、約2000年前に立てられました。
3. ニコポルのカトリック司教フィリップ・スタニスラヴォフが、キリル文字とイリュリア語で印刷された最初の本「Abagar」を出版しました。これは1651年のローマでの出来事です。この出版物は、ブルガリア・カトリック教会が求めていた祈祷書でした。
4. ブルガリアを代表する3つの音楽作品はドナウ河畔で生まれました。1863年、ツヴェタン・ツヴェトコフがスヴィシュトフで作曲した「Gorda Stara Planina」は後に国歌となり、1892年、ルセの男子中等学校の教師であったストヤン・ミハイロフスキーがブルガリアの教育・文化の賛歌「Varvi, Narode Vazrodeni」を作曲しました;1937年、オリャホヴォ市の金管楽器オーケストラの指揮者であり、コズロドゥイ歩兵第36連隊の音楽家でもあったディコ・イリエフが、ブルガリアで最も有名なホロ曲の一つ「Dunavsko Horo」を作曲しました。
5. ブルガリア初となる多くの出来事がドナウ観光圏で起こりました。ルセ、スヴィシュトフ、ロム、その他多くのドナウ河畔の町は、その歴史の一部として、最初の公民館、最初の保険会社、最初の印刷所、最初の鉄道、最初の公共映画上映、最初の気象観測所など、数々の「最初の」事業を誇っています。
6. 1954年6月20日、ブルガリアとルーマニアを結ぶドナウ川に最初の橋が開通しました。ルセとジュルジュを結ぶ橋で、友好の橋と呼ばれています。全長2.8 kmで、自動車用と列車用の2層構造となっています。この橋は59年間、両国間の451 kmの国境に架かる唯一の橋であり続け、2013年にようやくヴィディン-カラファト間の新ヨーロッパ橋が開通しました。
7. ブルガリア解放後の最初の人口調査では、ルセの人口はブルガリア公国で最大の26,163人でした。ちなみに当時のソフィアの人口は20,501人でした。
8. 1908年9月20日、ブルガリアの王子フェルディナンド1世がルセ近郊で歓迎を受けました。政府全員とともにヴェリコ・タルノヴォに向かった君主でしたが、途中、ドヴェ・モギリ駅で停車しました。そこでアレクサンダル・マリノフ首相が独立宣言を書き、王子と全閣僚が署名しました。
9. 1912年9月1日、愛国者、商人、企業家、株主であったDimitar Apostolov Tsenovは、故郷スヴィシュトフに500万ゴールドレヴァ相当の全財産を遺贈しました。この寄付金は、個人としては最大の金額であり、ソフィア大学に贈られたゲオルギエフ兄弟の寄付金に次いで、高等教育発展のための寄付金としては2番目の金額として歴史に残っています。現在、Dimitar Tsenovはスヴィシュトフの経済アカデミーの後援者となっています。
10. ブルガリアにおける全体主義の支配下で反体制派を収容した最大規模の収容所の跡地は、ベレネのペルシン島にあります。この収容所は、短期間の中断はあったものの、1949年から1989年の間利用されていました。