ヒサリャの面白い歴史的事実

ブルガリアにおける最初のミネラルウォーターの化学分析は、1882年にヒサリャの5ヶ所の鉱泉で行われました。このために東ルメリア政府は「ヒサリャ温泉業務の規制」令を出しました。これがわが国における近代温泉療法の正式な始まりとされています。

1976年11月19日に、ブルガリア共和国(当時はブルガリア人民共和国)の閣議は、199号決定を下し、「ヒサリャリゾートの古代都市」を考古学保存地域と宣言しました。この決定は同年に官報97号に掲載されました。
考古学保存地域としての「ヒサリャリゾートの古代都市」は、国立不動文化遺産協会(HIHN)に、国の重要な不動文化遺産として登録されました。この場所の独特さと歴史の全てがまだ残っており、観光客にとっても考古学者や歴史家など学術界においても興味を惹きつけています。

イヴァン・ヴァゾフは1904年にヒサリャの町に新しく建てられたコミュニティセンターに、自分の名をつけることを許可しました。彼が寄贈したサイン入りの本は、図書館の最初の蔵書となりました。コミュニティの理事会は詩人と連絡を維持し、詩人はその後も自分のサイン入り本や他の作家が書いた本を図書館に寄贈しました。イヴァン・ヴァゾフの画像が入ったメタルシールのオリジナル(ヒサリャコミュニティセンター最初のシール)は、当時からずっと残されています。