トゥンジャの生き生きとした水、肥沃な土地、素晴らしい気候、そして1年の晴れた日の多さが、紀元前約7000年の新石器時代に最初の人々がここに住むことになった前提でした。そのためカザンラクがブルガリアだけではなくヨーロッパ全体で最も古い都市の1つと主張しても、問題はありません!
古代には美しいバラの谷の地域に豊かなトラキア文化が存在していました。発見された考古学的地域には、学者と観光客どちらも興味を持っています。カザンラクからそう遠くない「コプリンカ」ダムの底には、トラキア王セウテス3世によって建設されたセウトポリス、これまで完全に探索された唯一のトラキアの町が存在しています。カザンラクの谷には多くのトラキアの墓があり、それらは記念碑としても古代美術としても傑作に入ります。その後はオスマン・トルコ帝国が文化の足跡を残しました。
町の名前はオスマンの定住時代に、スルタンのムラト1世に挨拶をした美しいトルコ人女性がアクス・クザンラル(白い少女)という名前であったことから名づけられました。
この町は古代からローズオイルの生産と高度に発達した手工芸品で知られています。カザンラク地方の人々は何世紀もの昔から勤労で美しく、才能があったと言われます。ごぎれいな白い家を庭と畑が囲んでおり、緑の茂みのようです。17世紀に旅人がダマスクのバラをアジアから持ち込むと、ここを第2の家として谷の大きな財産となりました。そこでこの谷はローズバレーと名付けられたのです。お祝いのローズオイルはカザンラクから世界中に輸出され、ブルガリアはバラの王国と呼ばれるようになりました。
祝福を受けた谷はトラキア人、ケルト人、ロマ人、騎士、そしてブルガリア人が通る拠点となりました。誰もが多かれ少なかれここに足跡を残します。セウテス3世が住んでいた地域には、誇り高いエウティミルと他の人々…
1873年にはカザンラクの住民がノヴェナの学校の教室で勉強グループ「イスクラ」を組織。その人々が後年に「イスクラ」劇場/コミュニティ、「イスクラ」図書館、そして「イスクラ」美術館・ギャラリーを建てていきました。
町で最も古い企業は、スタイノフ兄弟のパスメンタリ工場でした。それは後にウールの糸と編み物の大きな繊維工場「ロソヴァ・ドリナ(訳:バラの谷)」に発展しました。1920年代には、カザンラク出身のイヴァン・ヴァルコフ将軍がソフィアの「武器庫」を故郷に移転しました。わずか2年後には飛行機、トラクター、歯科用椅子企業の「カプロニ」が創業され、1930年には綿糸の生産をするJSC「ブルガリア」が設立されました。1924年創業の「クレモナ」は、ブルガリアで最初の、そして唯一の弦楽器の企業です。住民はだんだん豊かになり、町はヨーロッパでも注目されるようになりました。年を経るにつれて町の企業の数は増えました; 繊維、機械製造、香水、そして食品企業などです。いわゆる「社会主義の時代」には、町はブルガリアの水圧の中心となり、その名声は現在でも消えていません。
カザンラクは芸術家の町としても知られています: リュボミル・カバクチエフ、ステファン・ジェストフ、ルナ・ダビトヴァ、ビディン・ダスカロフ;芸術家の町です:学者のデシュコ・ウズノフ、ネンコ・バルカンスキー教授、イヴァン・ミレフ、…音楽家と作曲家の町です: エマニュイル・マノレフ、イヴァン・シロフ。
カザンラクの文化生活は色鮮やかで魅力的です。毎年数百もの文化イベントが開催されています。その頂点が毎年開催のバラ祭りで、世界中から数万人の観光客が訪れます。カザンラクの象徴の1つであるツァーの泉の水を一口飲めば、永遠に留まれると言い伝えられています!