興味深い歴史的事実トップ10

ブルガリアに関する歴史について

  • アヘロイの戦いは、バルカン半島で勢力を拡大しつつあったブルガリア国家とビザンチウムとの間で繰り広げられた中世初期の最も血なまぐさい戦いのひとつです。
  • ルソカストロの戦いは、イワン・アレクサンダー皇帝が第二ブルガリア王国滅亡前にビザンティウムに勝利した最後の戦いとなりました。 
  • ペトロヴァ・ニヴァ地域。1903年、第7オドリン革命管区の大会が同地で開催され、マケドニア・オドリン内部革命機構は、マケドニアで勃発したイリンデン蜂起を支持し、プレオブラジェニエ蜂起を宣言することを決定しました。

ビザンチウム関連 

  • デウルトゥム要塞は、コンスタンティノープル前の橋頭堡の役割を果たし、東方からのいわゆる蛮族の侵略から近道となるのを防いだローマ時代の要塞です。アンドリオプール(現在のエディルネ)の大きな戦いの前に、侵略してきたゴート族とビザンチウムとの交渉がここで行われました。 
  • ブルガス市ヴェトレン地区アクアエ・カルディダは、ローマ皇帝が鉱泉で湯治をした場所です。皇帝とその従者たちは、海路でアンキアロス(現在の町)に向かいました。ポモリエに到着し、泉にたどり着きました。その道は、皇帝一行の足跡が残り、現在ではすっかり整備されています。ローマ時代からある半ば廃墟と化したプールの上に、スルタン・スレイマン大帝は新しい浴場(カプラジャ・ハマム)を作らせ、そこでスルタンは痛風の治療をしました。
  • アンキアロス出身のコンスタンティノープル(エキュメニカル)総主教エレミヤ2世は、1536年にロシア総主教教会を国の教会として、ここに総主教教会の地位を与えられたのでした。エレミヤ2世は1595年に亡くなるまでコンスタンチノープル総主教を務めましたた。